またまたお引越し
またまたお引越ししたので・・・ブログのことですけれど。
レンタルでのブログでは、いろいろありますね。
でも、きっと今度のところはいいと思います。
沖縄のことを書いてる人が多いから。
という理由だけなんだけれどね。
今度のタイトルはすっきり
「沖縄に住む」
http://alohakafu.ti-da.net/
見に来てくださいね。
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その他
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│2011/09/03(土)16:59
先月のこと
この記事は先月の沖縄タイムスに載っていたものです。
特殊部隊の米兵が自動車でぶつかって何と衝突したかわからなかったなんていうこと言ってるわけです。
わからなかったら降りて確認するでしょう。
米軍の兵隊の能力ってたいしたことないのか、ウソをつくことを訓練されているのか。
前の記事を降りかえって読むことも必要です。
事件が起きても、そのときだけで時間がたてば忘れてしまいます。
そして、「またか」になるわけです。
最新の「沖縄に住む? そして沖縄に住んで」はこちらです。
http://ameblo.jp/alohakafu/
2011年7月13日沖縄
「読谷ひき逃げ 米兵、二審も実刑」
読谷村楚辺で2009年11月、同村の男性をひき逃げして死亡させたとして、自動車運転過失致死罪などに問われた在沖米陸軍トリイ通信施設特殊部隊所属の被告(29)の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部(橋本良成裁判長)は7月12日、懲役2年8月とした一審那覇地裁判決を支持、無罪を主張した被告の控訴を棄却した。同被告は上告した。
判決では弁護側が、被告は「人と衝突したという認識はなかった」との主張に対して、車両の損壊状況から「被告が相当程度の体積、重量のある物体に衝突したことを認識したことは明らかだ」と判断。
被告が「何と衝突したか分からなかった」とした供述は、衝突場所が車両左前部であることなどから「明らかな虚偽だ」と指摘して、人だと思わなかったなどとする不合理な供述は、採用する余地はないとした。
事故状況について、一審で検察側提出の鑑定証拠を信用性があると判断し、被告の前方注意義務違反などを認めて「人と衝突したことを少なくとも未必的には認識していた」との判断もすべて正当だとした。
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沖縄
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│2011/08/08(月)19:09
日本の平和は偽りでしょうか
「よその国の戦争のため基地が使われ、沖縄が加害者のようなイメージで子どもや孫の代まで言われるのは残念」 〜ある沖縄県人のことば
ベトナム戦争、イラク戦争、湾岸戦争と、アメリカが戦争をするたびに沖縄は加害者になります。
相手国では、沖縄から戦闘機が来ると思っている人たちがいます。
次回から新しいサイトになります。
「沖縄に住む? そして沖縄に住んで」
http://ameblo.jp/alohakafu/
沖縄は日本。
日本のみなさん、まだ戦争を続けますか?
テーマ:これ言っておかなくちゃ│ジャンル:日記
沖縄
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│2011/06/24(金)20:33
慰霊
66年目の慰霊の日。
きょうは、沖縄戦の集団的戦闘が終わった日として、慰霊の日としています。
歴史から思うには、旧日本軍が沖縄を放棄した日としたほうがいいのではないかと思われます。
旧日本軍の総司令官が敵の手を逃れて自滅した日です。
米軍はその後も住民に「デテコイ」とカタコトの日本語で叫んでいたようですけど、旧日本軍が住民に教えたことは、抵抗するしかない状況に追い込んでいたわけです。
集団的戦闘の命令は残ってたわけで、出て行けば戦車でひき殺されるとか言われてたわけですからね。
それがまた悲惨な結果を招いていたんですから。
「時をつなぐ校章 遺族、無念に思い寄せ」
沖縄戦時「ひめゆり学徒隊」が使った糸満市伊原の第三外科壕の中から、県立第三高等女学校(三高女)の校章が見つかった。
持ち主とみられる故伊集芳(戸籍上は芳子)さんの遺族にとっては、66年の時をつなぐ唯一の「遺品」だ。
「あの戦の中で、よく大事に持っていたね」。那覇市内の高齢者施設で暮らす姉の運天富子さん(90)は22日、まだらに変色した校章の写真に目を凝らし、教職の夢を砕かれた妹の無念に思いを寄せた。
伊集さん一家は戦前、東村平良で生活。教員を目指す芳さんは名護の三高女に通っていたが、県庁職員だった17歳上の長兄、故盛安さんが名護から那覇へ転勤したのを機に、那覇の県立第一高等女学校(一高女)へ転校。沖縄師範学校女子部(女師)に進学した。
9人きょうだいの末っ子で6女。おいの盛一さん(65)=八重瀬町=は生前の芳さんについて「かわいらしくて利発。学校の休みに実家に帰ってきた時は、隣部落の青年たちが叔母さん目当てにやって来たり、子どもを集めてお遊戯を教えたりしていた」と伝え聞いている。
富子さんには忘れられない光景がある。戦火が迫り来るころ、一時帰省中だった芳さんが、トラックで迎えに来た同級生たちと那覇へ戻ったあの日のこと。今生の別れになった。
戦時中、東村の実家は火炎放射器で焼かれたが、残った家族は山へ逃げて無事だった。「山原に逃れていれば、芳も死ななかった。死ぬと分かっていれば、もっとたくさん話をした」
女師と一高女の教師・生徒で構成された、ひめゆり学徒隊。生存者などの証言によると、解散命令が出た後の1945年6月19日、外科壕にいた芳さんら42人は米軍が投げた黄リン弾のガスで、苦しみながら亡くなった。
あれから66年。発掘された校章には「三高」の文字が見える。学徒隊の中で、三高女出身は芳さん1人だった。
「こんなに長い間、どこに隠れていたのかね」。そう驚く富子さんに、盛一さんは「叔母さんを元気にするために出てきたんだよ。妹の分まで長生きしないと」と語り掛けた。
今、9人いたきょうだいで健在なのは富子さんだけ。高齢で足腰が弱くなった富子さんも、ずっと出席してきたひめゆりの塔の慰霊祭に昨年から行けなくなったが、慰霊の日は施設から糸満方面へ向かって手を合わせるつもりだ。
「芳が生きていたら、先生を定年して今ごろゆっくり遊んでいたはず。戦争はやらん方がいい。だって、みんな殺してしまうでしょう」
〜沖縄タイムス2011年6月23日
テーマ:沖縄の歴史│ジャンル:地域情報
沖縄
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│2011/06/23(木)19:03
プロフィール
Author:カフー
沖縄に住む♪
沖縄に住んで、思ったこと感じたことを書いてます。
沖縄をもっと知るために、歴史を知り現在の状況を知り、思ったこと感じたことをそのまま書いてます。
青い海と白い砂浜、赤瓦とシーサーとハイビスカスをイメージする沖縄だけじゃありません。
沖縄に限らず南の島のことも書いてます。
参考文献
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